豊田さんと潮との出会いはここから始まった

あ~、マイケルのおっかけの人!!!

2011年1月25日、アメリカフロリダ州マイアミビーチ。この一言がコンサートホールの音響設計における世界的な第一人者である豊田泰久さんと私(潮博恵)との出会いであった。

2006年にCDを聴いたのがきっかけでマイケル・ティルソン・トーマスとサンフランシスコ交響楽団の音楽と活動に興味を持ち、彼らを分析・紹介するウェブサイトを運営していた当時の私は、ティルソン・トーマスが創設したオーケストラのアカデミーであるニュー・ワールド・シンフォニーの活動にも注目していた。彼らは1987年の創設以来マイアミの古いシアターを拠点に活動していたが、新たにフランク・ゲーリーの設計でコンサートホールを備えたキャンパスを建設することになり、その音響設計を担ったのが豊田さんだったのだ。

2011年1月のホールのオープニング・コンサートを聴きに行くことにした私は永田音響設計にコンタクトし、豊田さんにお話をうかがいたいと依頼した。

永田音響設計からの返答は、豊田さんの現地でのスケジュールが流動的でフィックスできないため、コンサート会場で本人を見つけてアポイントを取ってくださいというもの。そして、

「豊田はとてもわかりやすい外見なので、簡単に見分けがつくから大丈夫」だと。

という訳で、混雑しているコンサート会場で無事豊田さんを見つけられるか不安を感じつつ、渡米前にネットに上がっている写真を必死で見て、外見の特徴をインプットしたのだった。

そして迎えたオープニング・コンサート。豊田さんはあっけなく見つかった。席が比較的近かったのと、本当にわかりやすかったから。

休憩時間に声をかけ、自己紹介した私に対する豊田さんの第一声が冒頭にご紹介した

「あ~、マイケルのおっかけの人!!!」だったことをよく覚えている。

終演後にゆっくりお話する時間をつくってくださり、いろいろ話をしたところ、豊田さんは、

あなた、よく一人でこんなところまで来るね~(ニュー・ワールド・シンフォニーは日本からだと米国内で2回乗り換えないと着かないマイアミの空港がある都市部からさらに車で1時間くらいかかるマイアミビーチにある。そして他に日本人は誰も来ていなかった)

と面白がってくださり、私がウェブサイトに書いている内容も読んでくださって、結局そのオープニング・ウィークの間じゅう豊田さんご夫妻や永田音響の皆さんとご一緒し、新キャンパスを詳しくご案内いただいた上にチケットが入手困難だった公演も聴くことができた。そしてそのとき以来取材その他で多大なるご協力を得て今に至っているという次第だ。

だから「マイケルのおっかけ」は私にとって豊田さんとの貴重な出会いを生んだ。それだけでなく、アルテスパブリッシングからMTT/SFSについての本を出版することにつながり、それを読んだ井上道義さんが声をかけてくださって、オーケストラ・アンサンブル金沢の四半世紀の歩みを総括する本を出版することにつながり、その本の「オーケストラと社会とのつながり」という切り口が金沢の名物プロデューサー・山田正幸さんのアンテナに引っかかってゴールデンウィークの音楽祭(今年よりガルガンチュア音楽祭という名称)にアドバイザーとして参画すること、さらに「滝の白糸」や「禅~ZEN~」など金沢発の創作オペラに関わることへとつながって行った。今振り返ると本当に感慨深い。だから私はサンフランシスコとマイアミには足を向けて寝られないと思っている。

私が豊田さんについての文章を書くことになったきっかけは、アルテスパブリッシングで豊田さんに関する本をつくろうという企画が持ち上がったことによる。そのとき豊田さんは超多忙であり自分で書く時間がなかったため、私が取材することになった。私は「音楽と社会とのつながり」をテーマにしていたので、豊田さんのホールのつくり手としての視点と、そこで生まれた各ホールがその後社会の中でどう発展していったかという視点を掛け合わせたいと考えた。とても大きなテーマだったので時間をかけて取材するつもりで行動していた。2年ほど経ったときにコロナ禍が起き、ホールの建設プロジェクトも一時中断が増えて豊田さんに時間ができた。かねてからオーケストラのアンサンブルや響きについて、ご自分の経験に基づいた知見を広く発信したいという思いをお持ちだった豊田さんは林田直樹さんに対談の話を持ちかけ、林田さんが相談したのが同じアルテスの木村元さんだったのだ。

という訳で、木村さんの発案で豊田さんと林田さんの対談に私が取材したことを掛け合わせて一冊の本にしようということになった。

出来上がった本を読んで思うことは、豊田さんが自分の言葉で音楽について語る機会ができて本当に良かったということ。音響とはどういうものか、音響設計家の仕事とはどういうものかについて第三者がどんなに言葉を尽くしたとしても、豊田さんご本人が語ることにはかなわない。そして“音響”ではなく、“音楽”について語ったというところがミソだ。“音楽”を語ったら、“音響”とはどういうものかが浮かび上がった。これ以上のオチはないだろう。

私は豊田さんに出会う前、音響についての知識が全くなかった。だからものすごく大きな学びの連続だった。様々な公演にもご一緒し、毎回終演後に豊田さんから演奏について「どうだった?」と訊かれて感想を言うのは結構緊張したが、それもいい思い出だ。とにかく体験したすべてのことが楽しかった。この場をかりてあらためて感謝申し上げます。ありがとう、豊田さん。

(2024.2.23)